生きてる証を残してみる

精神疾患10年目を迎えた私の自由きままに綴る言の葉。日々思ったことや感じたことを残してみることにしました。

「社会のため」?

障害者施設殺人事件の容疑者は

「社会のため」にやったと供述してるようですが…

どの辺りが社会のためなんだろ。

悲しみと憎しみしかうまれてない気がする。

社会のために何かしたかったのなら、

ボランティアでもしたらよかったのに。

結局は自己満足のためにやったのではないかと思う。

 

障害をもった人がいるから気付くことだってあるでしょう。

だから音の出る信号機があったり、街中にスロープがあったり、缶の上部に点字があったりするんでしょ?

 

そしてそれらはすべて、自らが障害者となった時に役に立ってくれる。力を貸してくれる。

そうでなくとも、スロープや手すりは便利。

 

障害者の気持ちは、障害をもってみないと分からない。

役立たずだと決めつけることも、言語道断。

私は、そう思います。